他人のためではなく自分のために介護職に就いている、という話。

介護

この間、数カ月ぶりに会った友人が、介護の世界に興味を持っているものの、今の仕事を辞めていきなり飛び込むのは勇気がいると言っていた。話を聞いてみると、彼女の介護職に対する不安やイメージが躊躇の原因らしかった。

友人の介護職に対する不安

  • 排泄介助に抵抗がある
  • 重労働で給与が安いのはキツイ
友人の介護職員に対するイメージ

  • やさしい人
  • 博愛精神にあふれている人
  • 人の役に立つのが好きな人

介護職に対する不安については、一般的によく言われている内容だ。赤の他人の排泄介助に抵抗があるなんてのは当たり前だと思うし、重労働で給与が安いのもそのとおり。それでも敢えて介護職に就くのは、人の役に立つのが好きなやさしい心の持ち主だからじゃないか?と思っていたそうだ。友人としては、自分は特にやさしい人間でもないのに、他人に尽くす介護職が務まるのか不安だったらしい。

そんな風に思える彼女は十分やさしい人だと思うが、私自身、博愛精神旺盛ではなく、特別人の役に立ちたい人間でもない。

私が介護職に就いた理由と後からわかった魅力

私が介護職に就いた理由はいろいろだ。一番のきっかけは、母が終末医療で入院していたときにお世話になった病院の介護職員が、とても楽しそうに働いていたから。直感的に、自分に向いているだろうなとも思った。実際に働いてみて、介護職員になる前にはわからなかった介護職の魅力を感じている。

私はいわゆる『普通の家庭』がよくわからない

私は幼少の頃からヒステリックな両親に育てられた。母は私に十分なしつけをしたのに私が言うことを聞かなくて恥ずかしいと、たまに話していた。

実は、当の本人である私としては、母から十分なしつけを受けた覚えがない。あっても箸の持ち方くらいだろうか。料理も洗濯も掃除も「なんで手伝わないの!」と怒られはしたが、いちから教えてもらったことはない。

私の幼少期の記憶はいきなり叩かれるか怒鳴られるかしかなく、大人になって独立するまでヒステリーと体罰がはびこる家庭で過ごしてきた。だから、一般的な家庭の営みがどんなものなのか、私にはわからない。

ついでにいうと、嫁いだ先の主人と舅はまともな人だが、姑はいつも立ったままクチャクチャ口をならしながら食事をしたり、自分の息子を平気でダメ人間呼ばわりしたりする人だ。一般常識からちょっとずれていると言われがちな私でさえ「なんだこの人は?」と思う。家族に一人でもおかしな人がいると、他がまともでも一気に変な家庭になる。当然、主人の家も一般的な家庭の営みからは結構はずれていると思う。

長年の疑問に答えてくれそうなのが介護職だった。後付だけど。

しつけもろくにされず、両親から「お前は冷たい」と言われ続けた子供がどう育つか?そりゃ変な大人になるに決まっている。ヒステリックな親の背中を見てきたから子供自身もヒステリックで情緒不安定。いつも内心怯えているし自己肯定感は底辺だし、コミュニケーション能力は壊滅的。

だから私は人が嫌いだ。どうして人はひどいことをするんだろう、どうして他人を傷つけるんだろう、保身のために右往左往してどうしてそんなに滑稽なんだろう?

そんな未だに続く私の疑問に答えをくれそうなのが介護職だった。まぁ、これは介護職に就いて初めてわかったことだけど。私は他人に興味がある。人が何を考えているのか、どういうときに感情が動くのかを知りたいのだ。

グループホームで認知症の人たちを観察する毎日

私が勤めるグループホームは認知症の人しかいない。認知症といえば、同じ話を繰り返す、徘徊する、いきなり怒り出すなどのイメージが一般的だろうか。「普通の人と違う面倒な病気の人」と思われがちかもしれない。

でも健常者だって、病気になって脳の機能に異常が出れば、認知症になる。トイレの場所を忘れたり、一人で洋服を着れなくなったりするのだ。健常者も認知症の人も、何の違いがあるというのか。生物的な機能に特別違いがない以上、同じ人間だ。

少しずつ記憶が欠落し、体の自由も利かなくなる中、ホームで日常生活を送る利用者。「自分がちょっと変だ」と自覚しながらもどうにもできず、漠然とした不安を日々抱えている。そんな中、記憶や不安を埋めるために作話で辻褄合わせをする。被害妄想で自分を正当化する。

程度の差こそあれ、健常者でも似たようなことをやっている人、いないか?人間って、本当に興味深いと思う。

介護職は自分のため。『他人のため』はやっぱおこがましい気がする

まぁそんなわけで、私が介護職に就いているのは、博愛主義でもやさしいからでもなんでもない。人生の大半が辛い思い出だったので、せめて40歳過ぎてからは楽しく生きたいと思っただけ。自分が楽しくいるためには、周りの人にも楽しくなってほしい。ただそれだけ。

よくある「利用者からのありがとうが嬉しい」っていうのも否定はしないが、他人の感謝を当てにして仕事をするのは、ちょっとしんどい気がする。いくら尽くしたって、相手が感謝しているとは限らない。そもそも、『ありがとう』をもらうために仕事をするなんて、最初から「自分の仕事は他人から感謝されるべき仕事」と公言しているようなものだ。

確かに、高齢者施設を利用する人たちは、介護職員がいなければ日常生活を営むのが難しい。だからといって、毎日のようにスプーンで一口ずつご飯を食べさせてもらうのが嬉しいのだろうか。重い体を支えてもらってベッドから車椅子に移動するのが本望なんだろうか。


冒頭の友人にこんな話をしたら、ちょっと安心したようだった。ひとまず今の仕事は辞めず、介護のボランティアをやってみようかなと言っていた。向き不向きのある仕事だし割と重労働なので積極的に勧めはしないが、彼女の挑戦にはエールを贈りたいと思う。

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